top of page

​​​はじめての方へ

金光教の神様

たとえば、あなたが道を歩いていて、うっかり転んでしまったとします。



イタタタタ…(>_<)ひざをすりむいてしまった。

家に帰って、膝を水で洗い流し、消毒するかもしれません。

​ばんそう膏を貼る人もいるでしょう。

ああ、今日はお風呂のお湯がしみるだろうなぁ…と思うだけで痛くなってしまう方も、おられるかもしれませんね。

それから、数日経って、傷はどうなりましたか?

生々しかったのが、だんだん乾いてきた。
かさぶたができた。
いつのまにか、お風呂ではしみなくなった。

やがて、かさぶたが剥がれはじめた。
かさぶたの下には、まだ薄いけれど新しい皮膚が生まれている。
最後には、転んですりむく前と変わらないひざになっている…

このように傷ついた皮膚を癒そう、守ろう、整えようとする…
このお働きそのものが神様です。

すり傷に限らず、私たちは生きていく中で、いろんな痛みを感じることがあります。
身体の病気やけが、何をしても晴れないつらく苦しい心、経済・お金の面での困難、人間関係がうまくいかず、傷ついてしまうこと…

うれしいとき、辛く苦しいとき、どんなときでも、あなたのことを、癒そう、守ろう、整えよう、高めようとお働きくださる、それが神様です。

金光教では、


天地金乃神様

(てんちかねのかみさま)


とお呼びしています。

神様は、今のつらく苦しい状態から、何とかして助けてあげたい、楽にしてあげたい…そう願って、一秒たりとも休むことなく、お働き下さっているのです。

どうして神様はわざわざそんなことをするのですか?

それは、神様が、あなたを愛しているからです。
神様を信じるということは、神様があなたを愛し、大切に想い、あなたを癒そう、守ろう、整えよう、高めようとするお働きを、信じようとすることに他なりません。

金光教尼東教会ってどんなところ?

金光教は、カウンセリング宗教と言われるように、

一人ひとりの悩みに親身になって寄り添い、

苦しいところも一緒になって通らせて頂きます。

これを金光教では、

お取次(おとりつぎ)

​と申します。

​教会は、あなたの思いを神様に聴いてもらうところであり、また、神様があなたを大切に想ってくださっている、その愛情を感じ、受け取る場でもあります。


宗旨・宗派、国籍など問わず、どなたさまもご参拝いただけます。
「こうであらねばならぬ」 という決まりは何もありません。
疲れたときには温泉に入るように、どうぞ肩の力を抜いて、教会でゆっくりゆるりとお過ごしください。癒されますよ(^_^)

お広前(おひろまえ)

お広前とは、「神様のみ前」

という意味です。

神様のふところに包まれる場所で

座らせていただくと、

​とても心が落ち着きます。

 

こちらが教会玄関です。

玄関入ってすぐ右には、神様にお供えをさせて頂く、御献備(おけんぴ)をご用意させて頂くための机がございます。

どんなところ?

© 2015 by Konkokyo Amahigashi Kyoukai. All rights reserved.

bottom of page