ごあいさつ

震災を体験して
平成七年、阪神淡路大震災のあの日、あの時、私は阪神高速道路を走行中でした。ハンドルもブレーキも効かぬまま、倒壊した高速道のわずか二百メートル手前で間一髪停車し、命からがら脱出し九死一生を得ました。
その後、私は揺れや高所に対する恐怖心やパニック症も出ましたが、教会の先生にいつも祈られ、ずっと寄り添って見守ってくださっていたからこそ、立ち直れたのだと思います。
震災時は、「ボランティア元年」と言われ、私もいろんな奉仕体験をさせて頂きました。
中でも、仮設住宅にお花を届け、御用聞きをしながら、被災された方の悩みや身の上話を聴かせていただくようになりました。
聴かせていただくうちに、亡くなられた御霊様のことが想われ、
「痛かったやろう、寒かったやろう、怖かったやろう、心細かったやろう、言い残したやり残したこともあったやろう、したいこともたくさんあったやろう、無念やったやろう…」そんな声なき声を聴かせて頂けるよう、神様に取り次いで、聴くことによって少しでも癒され安心され浮かばれますよう、願わせていただいてまいりました。
幾度もいのちをつないで頂いている私。
いくつもの誕生日がある私。
生かされているいのちの意味や使命を、今日もなお求め続けています。
天地のお恵みのお世話になっているお礼のころを大切にし、また、犠牲になられた尊いいのちを忘れぬよう、ご慰霊申し上げております。
聖路加国際病院名誉院長の日野原重明さんが、105歳で亡くなられました。
日野原さんは、よど号ハイジャック事件に搭乗されていました。
その後、「これからの人生は与えられたものだ。誰かのために使うべきだ。」と、お気づかせ頂かれ、医療現場で、人が助かることを全うされたご生涯でありました。
私は、今の今も一人で悩み苦しんでいる人に、一人でも多く助かってほしいと、神様とともに願うようになり、悩み苦しむ人のお話を聴かせていただくようになりました。
迷っていたら、ぜひ聴かせてください。あなたの味方にならせていただきたいです。
俣野 卓次
